苦労を知らず、考え続ける。
なにもできていない。
スピードについてけない。
皆はちゃんとできていることが私はできない。
そんなことを考えてしまう夜。
あの子は夢を叶えたし、あの子は留学に行った。
あの子はこの現状にウキウキしているし、あの子は楽々すり抜ける。
私は苦労をしらないのかもしれない。
彼らの努力を、見えない努力を通り越した結果だけに注力し、羨ましいとほざき、私はなんてダメなんだと自問自答する。
私は私のダメな出来損ないな部分にばかりみていて、一日を終えてしまう。
もったいないと我ながら思うけれど、気が付いたら夜で、気が付いたら朝で、気が付いたら月曜日なのだ。
苦労を経験した方がいいとなんとなく思っている私は、やっぱり苦労を知らない。
苦労を知らないと味のある大人になれないから、やっぱり苦労は大切なのかもしれない。
楽なことばっかり選んでいて、そのうち罰が当たりそうな気がする。何も罪のようなことは犯していないはずだけれど、なんだか罪悪感で胸がいっぱいになる。
人間は自分の好きなことをやっている時が一番集中でき、脳が働くと誰かが言っていた。顔は思い出せるけれど、名前は思い出せない。たしか関西弁で話していったけか。
でも、自分の好きなことで必ずしも皆食べていけるわけではないから、皆それに近しいこととか全く関係ないことを仕事にしているのか。
いつの記憶かはわからないけれど、宮崎駿が「やりたいことではなくできることをするべきだ」的なことを言っていたことを思い出した。
残酷な言葉だ。
私はそれを踏まえたとき、なにがやりたくて、なにができることなのだろう。
考えすぎだとよく言われるし、そうなんだろうなと思うけれど、実際私は妄想で何かを補填しながら生きているから、やめることなんて不可能なんだと思うけれど、考えないで行動に移すことができたら悩みなんて吹っ飛んでいきそうだなと、考えたりする。
考えることにもはや憑りつかれているとしか思いない。とまた考える。
皆それぞれ不幸だが、私は私の事しか考えてるにすぎないから、これは不幸には値しない。私から発生し、誰に迷惑をかけることがない悩み。親には心配をかけてるということになるのだったら、それはもはや私だけの悩みではないのか。
わからなくなっていきたので、考えるのはここら辺にしてもう眠る。
生活パターンが完全にくるってしまっている今日この頃。
何とか朝にバリバリと行動できるようになりたい。多分永遠の目標。
あ、あと最近は日本語で歌われている音楽が聴くのが煩わしいと感じるようになった。
英語がわからなくてよかったと思いながら、アメリカの音楽を聴く。
たまにハッピーとかファッキンとかラブとかは変換されるけれど、全然大丈夫。多分それらの単語はキャッチ―過ぎなんだと思う。
明日は頑張れるかな。
2022.04.10
三賀正気