ゴミとゴミ箱と自己中。
案外、悩みを他人に聞いてもらうと楽になる。
そう気づいたのは、ここ最近である。
抱えていると、悪い方向にしか考えが進まない。
だけど、なにかの映画でみた場面が忘れられない。
いつも誰かの愚痴を聞き続ける人に対して主人公が、「あんたってみんなのゴミ箱みたいだよね。」と言われていたところを。
そのとき、そうか、愚痴や悩みは他者にとっては「ゴミ」同然で、それを聞かされている人は「ゴミ箱」なのか、としっくりきてしまった自分がいた。
そこから、誰かに話してわかってもらうことよりも自分の中で消化しようと努めるようになった。
それは自滅にも等しい行動だ、とわかっていても、自分の中でいつの間にか習慣になっていたから、どうしようもなかった。
そうしたら、だんだんと周りの人たちと何を話せばよいのかわからなくなって、だまりがちになった。
他者にとって、私の評価は総じて「まじめ」で「静かな」人だった。
だけど、私は肩がぶつかってしまったとき(故意ではなく)嫌な顔をしてしまうし、パン屋でパンを選んでいる人がマスクをしないで話しながらパンを取っていたら、何なの?みたいな顔をしてしまう。
これらは全然、「まじめ」で「静か」ではないと思う。
私は、腹黒くて自己中なやつなのだ。
そう考える。
そう考えてしまう。
いつだって私は、自分の悩みに対しては寛容なのだ、と気付く。
2022/5/19
三賀正気