私にとっては「本当に」辛いこと。
本当に辛いと思っていても、ふとそのことについて考えてしまうし、向き合っている自分がいる。
逃げたくて、逃げたくて、逃げたくてたまらないのに椅子に座り、机に向かっている自分がいる。
投げ出したくて、そっぽを向いておこうと思っていても、頭の片隅にそのことがこびりついて離れない。
辛くて、逃げたくて、投げ出したくても、涙が出る時もあれば、大笑いしている時もある。
楽しいと感じる瞬間に、それは「本当に」辛くて、逃げたくて、投げ出したいことなのか、と疑問が浮かぶ。
けれど、私の辛さは私の尺度でしか図れない。
私のことは私しかわからないのだから、私が辛いのだったらそれは「本当に」辛いことなのだ。
数学が苦手だ。
わからない問題に出会うと、気付いたら30分くらい考え込んでいる時がある。解説をみながらも考え続ける。
それが、すっきりわかったとき、その爽快さで数学が好きになる人もいるだろうけど、私からすると霧だらけの迷路をさまよい続け、やっと正解という名のゴールに辿り着くわけだから、ゴールに辿り着けたという安堵やもう二度と迷いたくない、という思いになる。
数学が得意な人には理解できないだろう。
「したいことがあるからしない人」と「したくないからしない人」。
両者は似ているようで全く違うな、と今日、何かをしている時に気付いた。
前者はなんかカッコいい。
後者は甘えているという印象を受ける(偏見だ)。
私は圧倒的に後者、と認めてしまうと甘えていることになるから、断言するのには躊躇する。
最近、映画館で映画を観れない。美術館で絵画をみれない。レンタルビデオ屋で何を借りようかワクワクしながら回れない。本屋で好きな作家の新刊が出てるかチェックできない。
したいけれど、できない。
できることなのに、できない。
明日は自分のノルマを達成できるだろうか。
今日も私の文章は暗い。
2022.04.15
三賀正気